市進ホールディングス

コラム

column
 
2024.03.07

行動としての「らしさ」

細谷です。1992年頃の話なのですが、当時大学生だった私は、仲間4人とLast Theaterという劇団を旗揚げし、学生劇団ながら当時としてはかなり過激な芝居をやっていました。公演はもっぱら乃木坂にあった赤坂プレイボックスや荻窪のアールコリンなど30人も入れば酸欠になってしまうような芝居小屋でハイテンションかつ疾走感がウリでした。

当時有名な同世代の劇団には、東京オレンジや双数姉妹、カムカムミニキーナなど早稲田にゆかりのある劇団が人気で、特に何のゆかりもない私たちの劇団は当時稽古場所になっていた代々木オリンピックセンターの会議室が居場所でした。私たちの隣の会議室には阿部サダヲさんらが所属する劇団の大人計画が稽古をしていて、朝から晩まで、というより住み込んでいるのではないかというくらいに見かけた記憶があります。

過去に仲間と劇団を立ち上げ、そして不本意な解散を経験した身として思うことは、劇団というのは立ち上げることは簡単なのですが、維持し続けることはそれ以上にとても難しいということでした。それは公演を打ち続け、お客さんに来ていただき、ある程度の収入も得なければならないという経営的なことももちろんなのですが、最も難しいのは、自分たちの劇団の存在意義や「らしさ」をどこまで内外で共有し、発展し続けられるかという点でした。つまりそれが劇団として「売れる」ということでもありました。バンドや漫才コンビの存続も似たところがありますが、解散理由が単なる方向性の違いだけでは言い表せない難しさがあります。

芝居の稽古では、演出家と役者との話し合い、または役者同士の話し合いがワンシーンごとに行われます。むしろ演じている時間よりも対話の時間やダメだしの後の気まずい内省の時間のほうが多いかもしれません。ただしこういった対話と内省の積み重ねが作品のクオリティを上げるのと同時に役者の技量も高めてくれます。ここの対話と内省を抜きに、あるいは逃げて、演出家の指示通りに動く役者の多い劇団というのは長続きしない傾向があるように私は感じています。

組織のリーダーが組織の「らしさ」を語る時、組織のメンバーが組織の「らしさ」を語る時、そこではどんな対話があり、どんな内省が繰り広げられるのでしょうか。

もちろん、夢を掴もうとする人たちの話と企業経営とを同列に論じるのも強引な気もしますが、劇団に所属する役者たちは自分たちのことだけでも精一杯のはずなのに、集団としてクオリティの高い作品を生み出すことが「自分たちが生き残る」ということをよく理解しています。私が学生時代に仲間と立ち上げた劇団はそれなりに尖っていたものの、その作品を私たちらしさにするための対話と内省においては圧倒的に足りなかったと今さらながら感じています。

私たちが組織として生き残るために個々ができることは何なのか、多様な個々が組織の「らしさ」を作り上げていくためにリーダーがすべきこととは何なのか、会社を設立してちょうど1年を迎えた今、私自身、「らしさ」が状態ではなく行動として創り上げていくもののように感じています。
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