市進ホールディングス

コラム

column
 
2022.02.16

役に嘘があってはいけない

周囲にはあまり言ってない話ですが、30年前の学生時代は芝居にのめり込んでいて、
大学3年で母校のサークルを飛び出し早稲田の文学部キャンパスの当時スロープ下に
あった劇団森という劇団に所属していました。

当時一緒にやっていたメンバーには、現在バイプレイヤーで活躍中の矢柴俊博さんや
「のぼうの城」の作者の和田竜さんらがいて、稽古のときはいつも厳しいダメ出しを
もらっていたのを覚えています。

今でも印象に残っているのは、「役に嘘があってはいけない」ということを何度となく
指摘されたことです。私の芝居が当時から嘘くさかったということもあったのですが、
「役になりきることと、役に嘘をつかないこととは別物」ということを知ったときは
とても衝撃的でした。

このことは多くのプロの役者が体験していることですが、役になりきるためにはその役
の人生をイメージし、役を疑似体験するために日常生活さえもその役で過ごすという
のはよくある話です。いわゆる役作りというものです。

しかし、こうして役者が一生懸命に役作りをおこなっても、役に嘘があれば、板(舞台)
の上に乗った瞬間に、更にセリフを発する前に簡単に見透かされてしまうという怖さ
があります。

板に乗っただけで、セリフを吐くこともなく、一体何がわかるのかと思うかもしれませんが、
当時の稽古場は畳10畳ほどの薄暗い空間で、役者が立った瞬間に、その役者の脚や腕の筋肉
の動き、息づかい、口の渇き、瞳孔の開き、そしてその役者の役への認識などが全てさらけ
出されてしまう環境でした。
そうした中では、いわゆる役者の雰囲気だけでその役者の力量がわかってしまうことがよく
あります。

特にその役への認識が不足していると、どんなに役作りでリアリティを追求しても、そこに
本来のリアリティが生まれることはなく、逆に認識不足の状態で役になりきろうとすれば、
自己中心的で嘘くさく、それこそ他者からはとても痛々しく見えてしまいます。

私が所属していたその劇団は、時に鼻水を垂らしながら静かに嗚咽したり、息づかいで恐怖
を表現したりと、なかなかマニアックな演出が多かったのですが、今、思えば、それらは全て
テクニックではなく、一方で役になりきることでもなく、役に嘘をつかない芝居を突き詰めた
結果として現れる行動だったと改めて思い返します。

いま30年を経て、私は社内講師の方たちを支援する仕事をしていますが、時々、講師と役者の
共通点について考えるときがあります。

それは共感を得やすい話し方や相手に伝わりやすい伝え方、効果的な学ばせ方などのテクニック
は多数あります。
一方で、講師という役割の中で、教える中身を講師が自分事として落とし込み、講師という役を
演じるのではなく、講師という役割に嘘をつかないことが、受講者が腹落ちする講義や研修が
できるのではないかと感じています。
あまり話し方や伝え方は上手くないけれども、その人のキャリアや経験から滲みでる、そんな
自分の言葉で語れる講師を支援し続けたいと思っています。
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